寺山修司を歌う

10月29日の記事で11月にあるジョイントコンサートのことを書いた。
そのときの我が団の単独ステージやる曲が、

寺山修司の詩による6つの歌 思い出すために」 信長貴富 作曲である。

この曲を歌うと聞いたとき、青春時代の思い出がさっと頭をよぎった。
私は高校時代から寺山修司に傾倒していた。
むしろかぶれていたといったほうが近いかもしれない。
彼の作品に最初に接したのは詩だった。
彼の詩には独特のダンディズムのようなものがあった

その陰にただよう孤独感がなんともかっこよかった。
そのうち、寺山の本なら何でも買い、寺山が詩の選者をしている雑誌に投稿し、挙句の果てに高校卒業とともに東京に出た。

東京で何をしていたかは言わぬが花だろう。
2年後に北海道に帰ることになって、
寺山の本はすべて古本屋に売ってしまった。
当時の私の感覚としては
故郷に帰ることイコール寺山との決別を意味していた。
現在も、うちには寺山の本は一冊もない。

信長貴富は今が旬の作曲家らしい。
この曲はかなり現代的な手法が駆使されている。
楽譜を見る限り私には難解で、
自分の引き出しにはない音の並びをしていた。

通常、こういう組曲をやるときは団から練習用のCDが渡される。
それには電子音のパート譜音源と、演奏の音源が入っている。
いままで私はそのCDを使ったことはない。
しかし、何度か練習してみて、今度ばかりは
練習用CDを使わざるを得なくなった。

最初に演奏音源を聞いてみて驚いた。
えもいわれぬ不協和音の中から
懐かしい寺山の世界が浮かび上がってきたのだ。
そしてある曲で、ふっと協和音になった。
仕事時間にノートパソコンのヘッドフォンで聴いていた私は
ほとんど泣きそうになった。

 ぼくが死んでも 歌などうたわず
 いつものようにドアを半分あけといてくれ
 そこから
 青い海が見えるように

 いつものようにオレンジむいて
 海の遠鳴り数えておくれ
 そこから
 青い海がみえるように

いつもの寺山とはちょっと違った力の抜け方、それが響く。
いい演奏会にしたい。

夕焼け01
海の写真ではなくて、先日見た夕焼け。あまりに不気味に赤かったのでカメラを持って外に出た。
さて今月から字のサイズを変えてみました。
やっぱり戻しました(^^;
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コメント

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寺山はずっと苦手ですが、potatoさんがこうして寺山に再会されたのは、面白いことだなぁと思いました。

数日前から、このブログタイトルに続く詩句が誰の作であるか聞こうかなと思っていたところだったので、
この機会に聞きます。どなたの作ですか?

また、コメントを、掲示板の方に書こうかなとも思ったのですが、
あちらは薔薇・植物・写真関係のみに、分けた方がいいでしょうか?
blog とbbs 両方をお持ちの方のところでは、どうしたらいいのか、
ひとによっても違うので、お尋ねします。

文字の大きさは、ワンセンテンスの長さ・全体量・行間の広さ、などのバランスでしょうか。
いまの設定は、字のサイズはわたしにとっては見やすいですが、
行間がせまくて、景色がみっちりした感じです。

寺山は田舎の若者にとってはヒーロー的存在だったかもしれません。
でもあの風貌やしゃべり方には抵抗のある人もいたかもしれませんね。
ただ、短歌や詩は一生懸命背伸びをしようとするシャイな田舎青年の匂いがします。

このブログのタイトルは谷川俊太郎の詩から取りました。
「旧、野に草」にそのことが書いてあります。
http://potato50.cool.ne.jp/hitorigoto/nonikusa.htm#L11
詩の本文は省略していますが、今だけ全文載せておきます。

blogを始めてから気のせいかBBSへの書き込みが少なくなりました。
BBSでスレッドを立てるよりblogの記事にぶら下がったほうが楽なことがあるのでしょうね。
私としてはBBSで、ひとつのテーマで大論議できるほうが楽しいですね。
植物のことじゃないことでもBBSに書いてもらってかまいませんよ。
カキコがないままより少しにぎやかなほうが私としてはいいです。
春になればまた自然に植物の話題が多くなるでしょうしね。

こんにちは。
寺山修司さんの詩集の
昔の広告(昭和44年)をとりあげました。
よかったらお寄りください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

kemukemuさん、こんにちは
この広告は少女向けの詩集ですね。
寺山はこういうのをずいぶん出していました。
昔の広告とはおもしろいものに注目しましたね。
懐かしく見させてもらいました。
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