どこにいるのか分からない

ある事件をきっかけに所在不明の100歳以上の老人がかなりいることが発覚した。
家族へのインタビューで「もう20年会っていない」とか「どこにいるのか分からない」という言葉には少々驚いた。
事実が分かるにつれ、親子が20年30年も連絡を取り会っていないという人がかなりいることが分かってきた。
その中にはお互いの所在すら分からないということも起きてくる。
一方で身元不明の老人の遺骨が増え続けているそうだ。
戦後の経済成長期に親子それぞれの自由を尊重して行われてきた核家族化のひとつの終着点がこれだということなのか。

今日のテレビで子供と25年も連絡をとっていないという老人の言葉には深い孤独感がにじんでいた。
「向こうからも連絡はないが、こちらかもする気はない。もうどうでもいいよ」
病院では危篤になった患者の家族(子供)にそのことを伝えても「行けない」とか「死んでも遺体を引き取れない」というケースがあるのだそうだ。
当然、家族があっても誰一人見舞うものがいないという場合もある。

これが全く予見できなかった事態なのかというと決してそうではないような気がする。
こういうことは以前から数多くあったはずだが、これを問題としてとらえる意識が行政に欠けているのだろう。
事件や記事になってはじめて動き始める体質は以前から全く変わっていない。
もうひとつは家族内の問題だろう。
親は子供の手が離れ、子は親の管理から離れた時、家族という関係性を再構築することなく、お互いがわがままに生きようとした結果なのではないかと私は思う。
個別にはいろんなケースがあるのだろうから、一言で原因を決めることはできない。

明日、息子が愛知県からお盆休みを取って帰ってくる。
今年は一泊温泉旅行をプレゼントしてくれるそうだ。
息子はまだ独身だがいい年になってきたのでそろそろと気にはなっている。
しかし、結婚し子供が出来れば毎年のように帰ってくることは難しくなるだろう。
そこから再び家族のあり方も考え直さなくてはならないのかもしれない。

1008ゲルベダグマーハストラップ01
ゲルベ・ダグマー・ハストラップ
久々のバラ写真かな。

EOS 5D Mark II
EF100mm F2.8Lマクロ IS USM
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。