さらばダークダックス

ダークダックスのトップテノール、高見澤宏さん(パクさん)が亡くなった。77歳だった。
1997年頃から、リードテノールの佐々木 行(マンガさん)が脳梗塞とウツ(鬱)のためグループを離脱しているのでずっと3人で活動してきた。
ダークはデュークエイセスややボニージャックスのようにメンバーの入れ替えは行わずに頑張ってきたが、いよいよ、年貢の納め時が来たということか。
いつだったかテレビで見た3人のダークは哀れなほどよれよれだった。
往年のすごさを知っている私としてはなんともいえない気持ちになった。
ちょっと寂しくもあるが、時代が過ぎたということなのだろう。

私がダークとのかかわりを持ったのは兄からだった。
兄は高校時代に仲間とカルテットを結成した。
兄はダークのレコードやラジオの録音から、4パートの音を採譜して楽譜を作っていた。
私はいつも一緒にレコードを聴きラジオを聴き、兄たちの練習を聞いていた。
自然と私もその歌を覚えてしまった。
毎週日曜日の朝、ラジオから流れる「こ~ころにいつでもう~たごえを♪」で始まるテーマソングでそれは始まった。
なんという番組だったかと調べてみた。
それは「サンデーダークダックス」。まんまじゃないか。

ダークダックスは4人とも、男声合唱の慶應義塾ワグネル・ソサィエティーの出身で、男性4人で歌うヴォーカルカルテットとしては日本の草分けである。
デビューは1952年で、彼らの育ての親である小島正雄はデビュー前にレパートリーを1000曲持つことを課したという。
デビュー当時のロシア民謡のレコードが我が家にあるが、これがたった4人で歌っているコーラスか?と思わせる圧巻の演奏だ。
特にバスの遠山 一(ゾウさん)の声は当時のオペラ界から声がかかったほど重厚な響きだった。
皆が知っている軽い歌声はその後のことである。
ダークは男声合唱界のために、男声合唱としても使える委嘱作品を自主コンサートの中で発表している。
名曲「山に祈る」や「おかあさんのばか」などがそうだ。
これらは現在でもよく演奏されている。

かくいう私も1980年頃から合唱仲間とカルテットを20年もやっていた。
おば様たちにはなかなか人気で、800人分のチケットが4人で難なく売れてしまうのだから、今にして思えばすごかったと思う。
合唱では1人20枚のノルマを売るのも大変だというのに。
コンサートは不定期で2年間隔だったり3年間隔だったり、周囲から催促があってそれじゃやりましょうかという感じだった。
これだけ長く続いたのは専属の編曲者がいて我々に合わせた選曲と編曲ができたからだと思う。
私のパートはトップテノール、パクさんと同じパートだ。

現在はタイムファイブやゴスペラーズのような少し多めの人数でジャズ調、ゴスペル調の軽妙なハーモニーを聴かせるグループのほうが主流となっている。
男声だけの正統派ヴォーカルカルテットはいずれ滅びる運命にあるのだろうか。
少し残念な気がする。

追記:ラジオから流れる歌は「いつでもこ~ころにう~たをもち♪」ですよ、とのご指摘をいただいた。
言われてみて「ああ、そうだ」と思いだした。何度も聞いた歌のはずなのに記憶とは曖昧なものだと痛感した次第。


1101寒い朝01
二年前の蔵出し写真。寒い朝。

明日も寒くなりそうだ。

Canon EOS 30D
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コメント

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re サンデーダークダックス

「こ〜ころにいつでもう〜たごえを♪」ではなく「いつでもこ〜ころにう〜たをもち♪」です。

1960年代のダークは無伴奏中心ですごかったです。「ボルガの舟唄」は圧巻です。「カリンカ」もよかった。ダーク特性アレンジの「最上川舟唄」はユーチューブで聴けます。

そうでしたか、記憶が曖昧になっていましたね。
続きは「あ〜なたと〜と〜もにきょ〜うもまた」でしたよね。
最後の「みつびし〜でんき〜」まで覚えていたつもりでした。
訂正をありがとうございました。

うちにあるレコードにも「ボルガの舟歌」「カリンカ」「ともしび」などが入っています。
ボルガはロシア語で歌っていましたよね。
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