「稲むらの火」について

「王子さま写真館」で「稲むらの火」のことが紹介された。
私はこの話を知らなかったので調べてみることにした。
物語は「稲むらの火 webサイト」で読むことができる。

小泉八雲「A LIVING GOD」
この話はもともと1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた逸話を元に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が1896年「A LIVING GOD」(生ける神)という英語の話にしたものである。この年は明治三陸地震が起きた年であり、かねてより聞いていたこの話を書いたと言われている。「A LIVING GOD」の前半は日本人の生活風習のことであり、後半に浜口五兵衛の話がある。この文は海外へ向けて、題名にあるとおり生きて神に祀られた(事実ではない)主人公の話で、西洋と日本での「神」の考え方の違いを伝えようとしたとされている。

中井常蔵「稲むらの火」
小泉八雲の作品を読んで感銘を受けた小学校教員中井常蔵は、1934年(昭和9年)に文部省国定国語教科書の教材公募が行われると、 "A Living God " を児童向けに翻訳・再構成し、「燃ゆる稲むら」として応募した。この作品が入選して、1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)まで、国定教科書である尋常小学校5年生用「小学国語読本巻十」と「初等科国語六」に「稲むらの火」と題されて掲載された。つまり、この物語が教科書として使われたのは戦前から終戦直後の10年間だけだった。教科書として採用されたのは、犠牲的精神で人々を救った美談と津波への防災の教材としての内容からである。

濱口梧陵(儀兵衛)
この物語のモデルとなった人物である。物語の中では名前は「五兵衛」となっている。
梧陵は紀州湯浅の醤油商人である濱口分家・七右衛門の長男として生まれる。12歳で本家の濱口儀兵衛の養子となる。「儀兵衛」は家業であった醤油醸造業(現ヤマサ醤油)の当主が用いる名前で、梧陵は後に7代目濱口儀兵衛となる。この逸話の元となった話は彼が35歳頃であり「稲むらの火」の庄屋で老人とは設定が違う。また稲むらに火をつけたのも避難するための路を照らすためであったということだ。しかし、収穫したばかりの稲むらに火をつけて人々を救おうとしたことに変わりはない。また、彼が今でも地元の英雄として奉られているのは、この地震後、私財を投げ打って復興に努めさらに4年の歳月をかけて広村堤防を築いたことである。この堤防は後に起こった昭和南海地震の津波から人々を守った。

詳しく知りたい方は「稲むらの火 webサイト」を参照。
「A LIVING GOD」原文と翻訳、また教科書「稲むらの火」を見ることが出来る。
サイト中の「著作集」にこんなエピソードが紹介されていた。
外国だって良い話だと思えば教科書に取り入れる。
日本はなぜこの話を教科書からなくしてしまったのだろうか。
少なくとも私は津波に対する教育は受けた覚えがない。
現在はどうなっているのか気になるところだ。
合わせて気象庁のページもご覧いただきたい。

追記:「稲むらの火」を教科書から削除したのはGHQだということだ。
   GHQは日本人の公徳心を養う内容を教科書から次々と削除させたらしい。

1103紋別の夕焼け
紋別のホテルから見た日没。

地震の被害実態がだんだん分かってきた。
宮城県警は県内の死者が1万人を超えるのは間違いないだろうと語った。
この地震全体となるといったい何人になるのか。
この復興には神戸とは比較にならないくらいの時間と費用そして心身のケアが必要になるのだろう。

EOS 5D Mark II
EF100-400mm F4.5-5.6L IS USM
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